■Previous | □index□ | Next■/td> |
Project Logical Dream Phase-2:epilogue. |
【10】 <もうよい>ニムダは片手を振った。 「は?」 十河は顔をあげた。それまで頭部を体ごと上下させる運動を十数回行いながら、ニムダの帰還に対する喜びを表現し、ニムダの理想のために尽くす事を誓い、長宗我部とそれに付いていった和美を罵り、すぐに亜栖論・辺太郎・亜栖郎・路央の抵抗をやめさせる事を約束したところだった。 「も、『もうよい』とは……あの、それは……」 十河はうろたえた。 モニタの向こうのニムダは、笑顔からはかけ離れた表情を浮かべている。何か言い忘れた事は無いか、失礼な物言いは無かったか……。十河の頭脳は、一気に空回りの大回転をはじめた。 <もうよい。この闘いで貴様と貴様の会社が私に矢を向けたとは思わん。これは私と、『彼ら』との闘いだ> じろり、とニムダは十河を見据えた。 「そ、それでは……あの、その……」 十河の頭の中は、狼狽と混乱と焦りをジューサーにかけたような状態になった。暑いわけではないのに汗が吹き出る。まるで毛穴という毛穴が間欠泉になったかのようだ。 ニムダの不興を買う。それはつまり沖田の不興を買う事であり、イコール彼の人生と彼の会社の命運に強制的な終止符が打たれる事を意味する。ニムダが『Yes』と言えば彼と彼の会社は助かり、『No』と言えば助からない。 「しかし、その、長宗我部がニムダ様に対し、大変礼を失した言葉を……」 <だからよいと言っている。……貴様にはもう何も期待はしていないし、貴様と貴様の会社をどうしようとも思わぬ。そんな些細な事に関わっている場合でないのだ> 十河は立ち尽くした。 ……『些細』とは何だ。 <広志が居ないのであればこの接続も意味は無い。ストリームを切……> 「ニムダ様!」 十河がたまらず嘆願の声をあげた時、 <十河殿> ニムダの傍らにいた女性型デジタロイドが、静かにそれを制した。 「なんだ貴様は」 十河は見慣れない女性型デジタロイドをにらみつけた。 <私の名はラブゲート。恐れながらニムダ様の側近を勤めさせて頂いていますわ> 女性型デジタロイドはうやうやしく礼をする。しかし眼鏡越しの温度の低い瞳には、十河に対する敬意は一切含まれていなかった。 ……なんだこの女は。ニムダ様との大事な話の間に、女ごときが割り込んでくるな。 十河はその視線が気に入らなかったが、威厳を保つ為にあえて無視した。 「そうか。ではニムダ様に代わってくれ」 顔をあげたラブゲートの瞳の奥に、軽蔑と嘲笑と憐憫とが混ざり合った。 <それはできませんわ> 「なんだと?」 <ニムダ様はすでに、あなたの力を借りずともよいお姿にあられます。あなたの役目は終わったのです。ニムダ様は役目が終わった者と話をされるような無駄な事はされません。特に、今の時間は貴重なのです> 「……なんだと……?」 絶望の淵に満たされた油に火がついた。十河の内部で怒りがメラメラと燃え上がる。モニタからニムダをさえぎるように立ったラブゲートの態度が気に食わなかった。 ……貴様のようなポッと出のデジタロイドごときに、私の長年に渡って培ってきたものを崩されてたまるか。 <見苦しいですわ十河殿。あなたとあなたの会社の権利と財産は保障すると仰っていただけているのに、これ以上何を望まれるのです?> 「貴様では話にならん! ニムダ様に代われ!!」 十河はわめいた。 <はっきり申し上げたほうがよろしいようですね……> 声のトーンが下がる。眼鏡越しの冷ややかな視線でラブゲートはため息をついた。 <ニムダ様はあなたの事が邪魔だと仰っておいでです。あなたの過去の働きには、すでに A.M.D. の社長と言うポストで報われたはずです。それなのに、欲を丸出しにしてニムダ様に媚びへつらうなんて。……無能は無能らしく、せいぜい今の地位にしがみついていればいいのよ> 「わ、私が無能だと!?」 爆発した。自覚している事をあからさまに言われたからだった。 過去に技術者として長宗我部に負け、転進して営業に移ったがそこでも業績があげられなかった。仕事ではなく政治力を駆使し、やっとの思いで A.M.D. の重役に名を連ねた時には、既に会社自体が傾きかけていた。彼は重役達を取りまとめて再興を図ったが、彼の才覚では会社を立て直すことはできなかった。他の重役達は沈みかかった船から逃げ出すように、彼を代表取締役に祭りたてて退職していった。 その頃、偶然会社の研究しているものが沖田秀介の目に止まった。十河はその機会に他の重役達と社長を説得し、会社を秀介に売った。沖田との連絡役として尽力した結果、秀介から社長のポストをたまわった。だが、実際に秀介の意向を実現したのは、他でもない技術者の長宗我部なのだった。 自覚していた。思い知っていた。自分は何一つ自分自身の手でやりとげてはいない。だからこそ自分の無能さを隠す為の努力をしてきたのだ。だからこそニムダの、秀介の後ろ盾が必要だったのだ。 ……『秀介がニムダになった』あの日から、社内での十河の立場は日に日に弱まってきていた。それが焦りに繋がった。 <えぇ。だからこそ重役達に次期社長の座を狙われるのよ。会社を動かす為の明確なビジョンも、統率力も、勤勉さもないくせに、今でもその椅子に座っていられるのだから不思議よね。……いい? ニムダ様はあなたを必要としていない。目障りなの。さようなら> 回線は切断された。 モニタはブラックアウトし、代わって『 ein 』のテレメータシステムが各ハードウェアの状況を表示しはじめた。 「……畜生……」 モニタの前で十河はひざをつき、声は押し殺した嗚咽に変わった。 彼とともに研究室に降りてきていた重役達はすでに去っていた。 「俺は広志に負け、部下に逃げられ、沖田で孤立し、会社でも孤立し、ニムダ様にまで見捨てられた……」 引きつった声が噛み締めた歯と歯の間から漏れ出る。 「私が、あの方にどれほど尽くしてきたか……今のあの方があのお姿でロジック・スペースにいらっしゃるのも、私の尽力あってのものだと言うのに……」 嗚咽はやがて怨嗟の声に色を変えていった。 『沖田』の過去の栄光にすがり、未来への幻想を抱く者の、末路の姿であった。 ※ ※ ……無能が高望みするからいけないのよ。回線を切断したラブゲートは、一つ小さく息を吐くとニムダの傍に戻った。 気分が荒くなっている。いつもはもっとクールなはずだ、自分は。今もちょっといじめすぎたかもしれない。だが今の十河とか言う男には、気晴らしに罵る程度の価値しかない。それで少しは私の気分が晴れるなら、彼も役に立っているのだ。よろこばしいことじゃないか。 そう自分に言い聞かせながら落ち着こうとしていたが、ラブゲートの気分は静まる気配を見せなかった。 その正体は、焦りだった。 背中から喉もとまで抱きすくめられたような、寒気を伴う焦り。 原因は十河とは別にあった。三歩歩いた後彼女は十河の顔を忘れてしまっていた。 「ニムダ様」 ラブゲートは、悠然と満足そうな笑みを浮かべて闘いを見つめるニムダに進言した。 「『メリッサ』の帰還が予定より遅れております」 「それで?」 「せれ子の抹殺に失敗したのでは……」 「……それが?」 視線を路央と亜栖郎のコンビに定めたまま、ニムダはむしろ楽しげだった表情を変えた。明らかに不機嫌になっている。 「過去に渡る為に強行した TTTP ストリームの逆流、過去で分散処理が確立していないが為の機能規模縮小……やはり、無理に過去へ渡らせるのは危険だったのではないかと」 「危険は承知していた」 やはりラブゲートをかえりみず、ニムダは言った。 「ならばなぜ!?」 「……ラブゲートよ」 ニムダは初めてラブゲートに視線を向けた。とは言っても、じろりと睨んだ程度ではあったが。 「メリッサも危険を承知していたのだ」 「……は」 ラブゲートはわずかに萎縮して退いた。 「かつての相棒を思いやる気持ちはわからないでもない。だが、メリッサも我らの崇高な目的のために、その命を賭して過去に渡ったのだ。相応の覚悟があって然るべきだろう。……それともラブゲート、貴様はメリッサの覚悟を軽んじる気か?」 「……出過ぎた真似をいたしました」 ラブゲートは深く 「次の段階に入る」 それには答えず、唐突にニムダは言った。 「行け」 「は」 短く答えて更に頭を下げると、ラブゲートは右手前方に見える亜栖論と辺太郎のもとに歩き始めた。 ……しかし。 ……側近のメリッサを失った割には、あまりに冷淡な態度ではないか。 その瞳には、すんなりとは消化しきれない不信の色が、濃くたゆたったままであった。 ※ ※ 路央を複雑な心境で見送った辺太郎は、その後すぐに走り出した。亜栖論に駆け寄り、肩を貸すためである。亜栖論は、足を引きずりながらでゅろ子のもとに向かっているところだった。 「おい、大丈夫か?」 亜栖論の腕を肩にかけ、辺太郎が問う。 「ええ、……なんとか」 亜栖論は短くそう言いながら、傷ついた身体に走る痛みに耐え、顔をしかめた。 「……お前らしくないな」 「はい?」 「お前らしくねぇよ。確かに 2 対 1 で、得物が 1 つしかない不利な状況だったけどよ、お前ならもっとまともに相手出来ただろうが」 辺太郎の口調が強くなったは、亜栖論の不条理な弱さに腹を立てているからだった。 そもそも 5 体のデジタロイドに囲まれた時、わざわざ自ら打って出ていったのは、5 対 2 の闘いをするよりは 1 対 1 の闘いを何度か行う方が勝率が高いと考えたからだ。もちろんそれには 1 対 1 で確実に、しかも体力を温存しつつ勝てるだけの自信が無ければ成立しない。亜栖論は辺太郎の強襲戦闘能力を高く評価していたし、辺太郎は亜栖論の防衛戦闘能力に信頼を置いていた。特に亜栖論はもともとケイ・ティのどちらか一方だけでも十分に闘うことができるよう設計されており、たとえ先の しかし現実には、亜栖論はが二人にリンチ一歩手前まで追いつめられてしまった。予想外であり、また腹立たしい事態であった。 「相手が強かったんですよ。……それだけです」 「本当か?」 「ええ」 「なぁ、亜栖論」 辺太郎は亜栖論の顔をのぞき込んだ。真っ直ぐな瞳が亜栖論の視界に大きく写る。 「俺はな、お前がえらそうな態度とってないと調子狂うんだよ。あんなクソ双子ごときで苦戦しやがって。いつものお前なら速攻で倒して、高笑いでもとばしてるだろうが」 「……そうですね……」 亜栖論は自嘲気味にそうつぶやいた。意外なほどあっけなく負けた自分に対してもだったが、猪突猛進をそのままメモリに展開したような辺太郎に、彼なりのものとはいえ理屈で責められた事も、自嘲すべき点だった。 「なぁ……もしかして、あんまり考えたくない事だけどよ……」 辺太郎は口篭もった。 「『あいつ』、か?」 「……さぁ、どうでしょう……」 辺太郎のためらいがちな問いかけに、亜栖論がまたも自嘲気味な答えを返した、そのとき。 「お兄……ちゃん」 でゅろ子のかすかな声が耳に届いた。顔を上げると、 「でゅろ子」 そうつぶやくと、亜栖論の歩調がやや速まった。 「っと!」 と言っても、亜栖論が駆け寄ろうとして前のめりになっただけで、実際には辺太郎が慌てて抱きとめたのだが。 「ったく、無茶すんじゃねぇよ……」 「……そうね」 辺太郎と亜須論の前、でゅろ子との間に、いつの間にか立ちはだかる者が音も無く立っていた。 「いくら妹さんが可愛いとはいえ慌てて駆け寄るなんて。……正直あなたの状況判断能力には疑問を抱かざるを得ないわ、亜栖論さん」 ラブゲートであった。 「……んだと?」 「しかし無様だこと」 ラブゲートは辺太郎を無視して、亜栖論に語りかける。 「興ざめね。二人がかりとはいえ、まさかあの程度のデジタロイドに苦戦するなんて。……妹さんも失望したでしょうに」 話しながらゆっくりと歩き、亜栖論との距離を縮める。 「それとも、『彼』の覚醒が近いのかしら?」 「!」 瞬間、亜栖論と辺太郎の顔色が変わった。 ラブゲートが口にした『彼』。それは亜栖論と辺太郎、そして長宗我部しか知らない事のはずであった。 予想外のことで驚きを隠せず、二人はその表情のまま固まった。 「……そうか……それが目的か」 先にその表情を変えたのは辺太郎だった。 肩を貸していた亜栖論をゆっくりと座らせる。その間、ラブゲートから視線を外すことは無かった。 「いつ、どこで、どう知ったかは知らんが……『あいつ』を目覚めさせて、いったいどうするつもりだ、おまえら」 鋭くにらみつけ、押し殺した声を吐き出す。 ラブゲートは動じずに言った。 「どうもしないわ。『彼』と言っても『亜栖論』には変わりないでしょう? 私達が欲しがっているのはむしろその『対』になるでゅろ子ちゃんのほうよ」 ラブゲートは眼鏡のつるをつまんで位置を整えた。 「……もちろん、『彼』との感応効果は期待しているわ。私達が目的を果たしやすいようにね」 「舐めやがって……上等じゃねぇか」 辺太郎は拳を固めた。瞬時にファイティングポーズを取って威嚇する。 「その前に、お前ら全員俺が叩き潰してやる」 「あらあら。……聞きしに勝る単純さね」 フッ、とラブゲートの口から嘲笑が漏れた。 「でもあなたの相手は私じゃないの」 そう言った直後、ラブゲートの足元に落ちた影が、音も立てず広がった。まるで静かな水面に生じた波紋のように。 ラブゲートを中心に大きく広がり、ほんの一瞬で辺太郎たちの足元を通り過ぎる。 そしてその一瞬を 3 回ほど繰り返した短い間に、辺太郎や亜栖論、そして彼らとラブゲートを挟んで横たわるでゅろ子をその半径内に収めてしまったのである。 「な、なんだよ!?」 辺太郎は動揺して左右を見回した。 「……『 その傍でひざまずく亜栖論がつぶやいた。 「あら。そんなに簡単にタネを明かされるたらつまらないわね」 拍子抜けした顔でラブゲートが笑いを漏らす。 「ま、勝てるものなら勝ってごらんなさい」 ラブゲートはそう言いつつ辺太郎たちに背を向け、ゆっくりとでゅろ子へ歩み寄った。 「手前ェ! 敵に背を向けるたぁいい度胸し……」 あからさまなほどの挑発に激昂した辺太郎は、ラブゲートを追うために駆け出そうとした。 しかし。 辺太郎の目の前で影が急に盛り上がった。 「おルァッ!!」 聞き覚えのある声と、見覚えのある顔が目の前に形成され、喰らった事の無いパンチが辺太郎の顔面に炸裂した。 辺太郎は派手に転び、地面を滑った。 「言っただろうが」 聞き覚えのある声の主は、口元をゆがめて笑った。 体制を立て直した辺太郎は、目を見開いた。 「お前の相手は俺なんだよ」 辺太郎の目の前に辺太郎が、鏡のように立っていたのである。 「いや」 「ちょいとばかり違うな」 不意に、辺太郎の周囲の影が波たった。 波は次第に大きくなり、不自然なまでに背の高い波になっていく。 そしてそのひとつひとつの波が、瞬時に人の形を形成していった。 「『俺』じゃなくて」 「『俺たち』だ」 「あぁそうだ」 「そうだ」 「そうだぜ」 「なぁ、『俺』」 影の波が収まったあと、辺太郎は何人もの『自分』に囲まれていた。 |
■Previous | □index□ | Next■ |