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Project Logical Dream Phase-2:epilogue.

【11】

「つまり……沖田秀介は、もとは生身の人間だった?」
「そう。結論から言えばそうなる」
 4 人乗りのセダンが深夜の駐車場を出口へと向かう。
 ……秀介はもともと人間であった。だが今はデジタロイドとしてロジック・スペースの住人になっている。それはよしとしよう。だが次の問題にぶちあたる。それは一体……。
「それは一体、どういう事ですか」
「直球やな」
 くすり、と長宗我部は苦笑した。
 和美の胸に嫌悪感が広がった。それは濃度こそ薄かったが、思考を占領するには十分な量まで増加していた。
「いい加減にしてもらえませんか。『説明する』『後で説明する』、そう言ってずっとさっきからはぐらかしています。私はこんな禅問答をするために所長についてきたわけじゃありません」
「真相を知る為やろ?」
「そうです」
「わかった」
 長宗我部の声は観念したかに聞こえたが、その顔に浮かんだ苦笑とも自嘲ともつかぬ薄笑いは消えていなかった。
 ……最後の最後の最後の所までは話さないつもりか。
 以前から知っていた。この一見背の高いスポーツマンタイプの中年は、韜晦と誤魔化しとはぐらかしが得意な、かなりひねくれたオヤジだ。しかしそれを知っていたところで、和美の我慢の限界値を底上げするものではない。
「さっきも言うたとおり、沖田秀介は昔は人間やった。そして今はデジタロイドや。これはヤツの希望で行った。……考えてもみてみぃ。人間とほぼ同じ情報保存アルゴリズム、人間とほぼ同じ思考アルゴリズム、人間とほぼ同じ生態活動、こんなモンをシミュレートする手段は、構想は、構築は、いったいどこにある?」
「……禅問答はもうイヤだと申し上げました」
「人間をシミュレートするには、人間をサンプリングするしかない」
 長宗我部は和美の抗議を完全に無視した。
「あの男は、沖田秀介は、世界で2番目に『サンプル』になった人間や」

※     ※

「な……なんなんだよ!」
 人数にして 2、30 人程度だろうか。全て自分と同じ顔、同じ体をした『自分』が、自分の周りを囲んでいる。
排他的論理和の湖(レイク・オブ・エクスクルシヴ・オア)……。ある対象インスタンスと同じビット列を持つインスタンスを生成し、それをぶつける手法です」
 亜栖論がつぶやいた。
 排他的論理和は、二つのビットが同じである場合を 0、違う場合を 1 とする論理演算である。たとえば『 1 と 1 』ないしは『 0 と 0 』なら『 0 』を、『 0 と 1 』ないしは『 1 と 0 』なら『 1 』と出力される。
 あるビット列と全く同じビット列を排他的論理和で論理演算すると、全てのビット列は 0 に置き換わる。アセンブラではレジスタの内容を 0 に(クリア)する為に使われる、古典的な手法だ。
「この(レイク)には、テリトリー内に入ったインスタンスのコピーを生成する能力があります。つまり辺太郎、あなたを今囲んでいるのは紛れもなくあなた自身です。彼らと闘うのは得策ではありません。まるであなたとあなたのコピーで排他的論理和をとるかのよ……」
「あぁあああぁあぁあ! もう!!」
 辺太郎が噴火した。
「わけわかんねーよ難しい事言ってんじゃねぇよ亜栖論!! つまりこいつらは俺のコピーで、クローンで、つまりニセモノで、こいつら全員ブッ潰せばいいんだろうが!! それで済む話だろが!!」
「……いやニセモノというよりは……」
「いいんだよニセモンで!!」
 吠えて遮る。
「ホンモノの俺がここにいて、周り全部俺と同じなら、やっぱりこいつらはみんなニセモンだろうが! それでいいんだよ! 難しい事ゴチャゴチャ考えてるヒマあったら闘うんだよ、こうやってな!」
 言うが早いが、辺太郎は密かに腰に溜めていた拳ごと、一歩踏み出した。
 目の前の『辺太郎』が真後ろに吹っ飛ぶ。その後ろにいた『辺太郎たち』までも巻き込まれ、何人かが崩れた。
 それを合図に『辺太郎たち』が一斉に襲い掛かった。
 辺太郎はそのまましゃがんで右と左からのフックを空振らせてから、がら空きになった『辺太郎』の顔面へ右、左の順に裏拳を繰り出した。
 左への拳を引くタイミングで次は一気にしゃがみ、後ろから羽交い絞めにしようとした『辺太郎』に回転足払いを繰り出す。勢い余った『辺太郎』はそのまま宙に浮き、立ち上がった辺太郎の正拳突きで吹っ飛ばされた。吹っ飛ばされた『辺太郎』を抱きすくめざるを得なかった『辺太郎たち』が 3 人まとめて崩れる。
 が、その崩れた『辺太郎たち』を乗り越えて、その後ろからも次々と『辺太郎たち』が現れている。
 辺太郎は次の行動に移っていた。
「ハイパー・パイプライン・バースト!!」
 正面に向かって辺太郎は突進し、猛烈な拳の連打を繰り出した。『辺太郎たち』はその波状攻撃を受けて次々に吹っ飛ばされ、叩き付けられ、なぎ倒される。
 辺太郎は突進しながら拳を打ち続けた。目の前の模造品(コピー)は次から次にカベのように立ちはだかり、あっけなく倒されていく。辺太郎は後ろから追いすがる『辺太郎たち』よりも速く、目の前の『辺太郎たち』のカベを、掘削し、破壊し、やがて突破した。
 目の前に居るのは亜栖論。
「辺太郎!」
「亜栖論、とりあえずお前は逃げ……」
 しかしその背後からは、まるで津波のように『辺太郎たち』が襲いかかってきていた。
 言い終わらないうちに、辺太郎は後ろから突き飛ばされた。視界が急激に上昇する。激痛とともにそれがうつぶせに倒れたのだと辺太郎は知った。一瞬ごとに増える圧迫感。それは『辺太郎たち』が次々に辺太郎の上に覆い被さっていったからだった。
 辺太郎はまるで、山の麓で土砂崩れが起きた民家のように、『辺太郎たち』の山に埋もれていた。
「逃げろ!」
 辛うじて露出した顔だけで、辺太郎は叫んだ。
「しかし……」
「しかしもクソもへったくれも無ぇんだよ莫迦! 早く逃げろってんだよ、でゅろ子背負って逃げろよ莫迦野ろ……ぐへぁっ!」
「あなたこそバカじゃありません?」
 辺太郎の叫びを、その顔面をつま先でしたたかに蹴りつけることで中断させたのはラブゲートだった。
「この状況でよく『逃げろ』なんて大きな口がきけるわね。何よそれ。『俺のことはいいから先に行け』って? ロマンチズムここに極まれりって感じね」
 ラブゲートの声はむしろ憎悪に満ちていた。
「だいたいどうやって逃げろと? この『 ein 』をシミュレートしたこのネットワーク・スペースはそもそも私たちの用意した空間で、すでに私たちの支配下にあるのよ? 騙されてのこのこ敵陣に乗り込んできた分際で、しかも敵の罠にまんまと引っかかって、それで状況がマズくなったら逃げるですって? そんなことが可能だとでも思っているの?」
 ラブゲートは辺太郎の頭に足を置いた。ヒールがこめかみに食い込む。
「ぐ……うるせぇ……お前ら全員ぶっ飛ばしてやる」
「どうやって?」
「どうやってもだ!!」
 辺太郎はぎらりとラブゲートを見上げた。
「この俺が決めたからだ! 何者でもないこの俺がな!!」
「ふぅん……」
 ラブゲートは辺太郎から足を離した。
「もういいわ。方法も考えず、実力もわきまえず、戦力も考慮できず、寝言しか言えない人には興味ないわ」
 『心底つまらない』と言った顔でラブゲートは辺太郎から背を向けた。
「殺してしまいなさい、『辺太郎たち』」
 ぱちん。
 ラブゲートは指を鳴らした。『辺太郎たち』が辺太郎を完全に圧殺し、単なるインスタンスの塊に変える為の合図だった。
「ぐああああああああぁぁぁああぁああああああああ!!!」
 背後で絶叫が聞こえる。断末魔(ノイズ)だ。押しつぶされ、インスタンスの有機的結合を絶やされ、各メソッドが機能を停止したその証拠だ。辛うじて機能停止していない声帯を司るインスタンスに無意味な引数が渡されたからだ。もはや言語機能は機能してはいまい。さぁ早くそのインスタンスも潰してしまえ。そうすれば耳障りなノイズが頭上から聞こえる事も……
「……頭上から!?」
 振り返ったラブゲートが見たのは、今まさに目の前に落下してきつつある『辺太郎』であった。
 ラブゲートは身を翻してそれを避ける。
 しかし落下してくるのはその『辺太郎』だけではなかった。積み重なった『辺太郎』たちが次々に、突如として何らかの力の作用が起こったかのように吹っ飛ばされ、落下していく。『辺太郎の山』は瞬く間に、『辺太郎の丘』と言える程度まで低くなっていた。
 ラブゲートは足下に落ちた『辺太郎』の額に、大きな穴が空いているのを見つけた。
「……弾丸……!?」
「遅すぎましてよ!」
 頭上から声がした。それと同時に、『辺太郎の丘』を越えて跳躍した影が一つ。
 それは軽々とラブゲートの目の前に着地し、次の瞬間には銃口をラブゲートの額に押しつけていた。
 そのまるで重力を感じさせない洗練された動きと、己の判断の遅さとの両方に、ラブゲートは愕然とした。
 舞い降りた黒い女は、銃口と視線をラブゲートにむけたまま言った。
「せれ子さん、いまのうちに」
「う、うん!」
 遅れて女性型デジタロイドが『辺太郎の丘』から身を乗り出した。せれ子は「うんせっ」とかけ声をかけて着地し、オリジナルの辺太郎に「大丈夫、兄ちゃん!?」と声をかけた。
「……なるほど」
 ……メリッサはせれ子を殺し損なった。そしてせれ子はここにいる。とすれば返り討ちにあったとみて間違いはない。そしてせれ子にそんな戦闘能力はない。……だとすれば……。
 状況を把握したラブゲートは、口を開いた。
「あなた、名前は?」
 黒い女は無言で眼を細めた。
「『この状況で』よくそんな質問ができますわね」
「あら。私はそこで押しつぶされかけた間抜けな男よりは状況判断能力に秀でていると思っていますけれど?」
 そこまで言って、ラブゲートは後ろに倒れ込んだ。そして弓なりに背を伸ばして腕を伸ばす。バク転の要領で回転した。
 そして振り切ったつま先で銃口を蹴り上げる。拳銃が浮き上がって宙を舞っている間に体勢を整え、拳銃が落下してきたタイミングで腕をのばし、それを手にする。
「ほら……」
 銃を構えて『ほらね』と言いかけたところで、ラブゲートはたじろいだ。黒い女はすでに別の拳銃を2丁手にし、照準をこちらにあわせていたのである。
「やるわね」
 つまり今自分が手にしている銃はフェイクか。重量があまりにも軽い。
 ラブゲートは舌打ちして拳銃を投げ捨てた。
「お褒めに預かり恐悦至極」
「名前は? それくらい教えてもらえるのでしょう?」
「必要であれば」
「えぇ」
 ラブゲートは両の手の中にインスタンスを発現させた。それを黒い女と同じく2丁の拳銃に変化させる。
「あなたは私が倒す『敵』だもの」
 生成し終わった銃を黒い女に向ける。
「……見えますわ」
 黒い女は眼を閉じた。
「あなたの敵。大切なものを奪った敵。あなたの大事なお友達が殺された。……復讐の炎が見えます」
「だから何だって言うの!?」
「せれ子さん」
 黒い女は再び眼を開いた。
「え?」
「この方、私がお相手致します」
「え……いや、そのオバさんって敵でしょ? それはいいけど……なんで?」
「この方の思い、私が受けとめる必要がありそうなのです」
 黒い女は銃を構えなおした。
「この方の苛烈なまでの情熱……私玉響(たまゆら)がお相手致します」
 黒と白と紅の式神は、穏やかにそう言った。
 
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