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Project Logical Dream Phase-2:epilogue.

【4】

『なんでそれを早く言わないのよっ!?』
 モニタの向こうでせれ子がわめいていた。驚きと怒りで紅潮した顔が画面いっぱいに広がっている。
 稲川技研・通称I.N.T.E.L.第64研究所。『 zwei (ツヴァイ)』内部から外に出たばかりのせれ子は、たったいまインスタンスの再結合を終えたばかりとは思えないほど元気に吠えていた。「過去」ででゅろ子が持て余した威勢そのままである。
『聞いてるの!? ねぇ、ちょっと返事してよ、ヤスヒコ!!』
「生みの親を呼び捨てで呼ぶようなダメな子には返事をしてあげません」
 毛利安彦(もうりやすひこ)はそう言いながら、足下でじゃれついている猫を抱き上げた。猫の名前は『でゅろ子』と言う。安彦が気まぐれに餌を与えて以来なついてしまった捨て猫だが、拾った当人も気に入ってしまい、それでつけた名前である。もちろん、A.M.D.とのデジタロイド共同開発計画が始まってからの話である。
 安彦は『でゅろ子』の顔を視線の高さまでもってくると、のぞき込むように見つめて言った。
「まったく、潔癖性の和美くんと言いやかましいせれ子と言い、どうして僕の周りにはまともな女の子がいないんだろうねぇ? というより、なんででゅろ子ちゃんが A.M.D. のデジタロイドなんだろう。素直で可愛くていい子なのに。ねぇ?」
「うな〜ぅう」
 『でゅろ子』はあさっての方向を向いてうなるような返事を返した。
 猫と会話をする仕草を見て他の研究員達は何も思わなかった。安彦は有能な技術者だったし、彼がこういう奇行に出るのは別に珍しいことではなかったからだ。女性の研究員からすれば『あぁいうところがなければいい線いってるのに』というのが平均的な評価である。切れるような妖しい光を含むその目は神秘的で、使いどころを覚えさえすれば十分な戦果を得られる武器になるだろう。ただ彼の場合、その非常に低く設定された年齢制限にひっかかってしまう場合が圧倒的多数だったりするのだが。
『あのクソ生意気なガキンチョのどこが素直で可愛くていい子なのか小一時間は問いつめたいところだけどそれは置いとくとして、でゅろ子のインスタンス結合が極端に遅れてるって話、なんですぐに教えてくれなかったのよ!?』
「だって聞かなかったじゃない?」
 安彦の答えはあまりにあっさりすぎて、まるで最初からせれ子がそう聞いてくるのを予測していたようだった。
『知らなかったら聞きようがないじゃない!』
「それに」
 安彦は腕の中でみじろぎしだした『でゅろ子』を地面におろしてやりながら、せれ子の抗議を静かに遮った。
「今回ばかりはちょっと相手が悪い。僕も親友を助けてやりたいし、何よりでゅろ子ちゃんだから一刻も早く助けてあげたいさ。……しかし彼らは『 ein (アイン)』のオペレータ達が気づかないほどそっくりなエミュレーションプログラムが書けるほどの実力者たちなんだ。先ほど『 zwei 』のサーバログを確認したんだが、一歩間違えていればこちらもハックされるところだった。侵入の痕跡があからさまなほど残っている」
『……もしかして、兄ちゃん達が今追ってる例の『敵』?』
「そのようだね。だがこのアタックはおそらくダミーだ。『 zwei 』に侵入するとみせかけて本命は『 ein 』って寸法だろう。もしかしたら I.N.T.E.L. と A.M.D. にある他の研究所や営業所なんかで使ってるネットワークスペースないしはそのガーディアンに、アタックした痕跡があるかもしれない。そしてその全てがおとりで、お目当ては『 ein 』。……原始的だけど効果的な陽動だよ。実際、I.N.T.E.L. 本社基幹業務ネットワークスペースの警護に路央(ジーオン)亜栖郎(アスロンフォゥ)がかり出されてた」
『大きいお兄ちゃんが?』
「うん。軍での仕事を放り投げてね。ついさっき警戒が解かれて常駐配備ではなくなったけど。そのくらい話が大きくなってる」
 『でゅろ子』がサーバルームのすみに丸まったのを見とどけてから、安彦は初めてモニタ越しのせれ子を見た。
「さて。どうする?」
『決まってるわよ。でゅろ子を助けに行く』
「どうやって? 今も言ったように『敵』は相当な実力を持つ奴らだ。しかも数だって未知数。少なくとも同時に複数のネットワークスペースにアタックを仕掛けられるだけの数と実力はあるとみていいね。その中にたった一人で、しかもお兄ちゃんたちと違って戦闘用には作られていない、単なるヒューマニスティック・ユーザ・インタフェースである君が、どうやってでゅろ子ちゃんを救いにいくと?」
『う……』
 せれ子は考え込んだ。路央と辺太郎という二人の兄は最初から戦闘用に作られたデジタロイドだが、せれ子は単なるヒューマニスティック・ユーザ・インターフェース(HUI)、つまりコンピュータのオペレーション用に開発されたデジタロイドだ。攻撃の手段も防御の方法も持たない、平和利用のためのソフトウェアだ。もちろん多少のセキュリティ保護機能なら備わっているが、そんなものは攻撃用デジタロイドやメモリ破壊アルゴリズムに対抗できるものではない。せいぜい、小さな(ワーム)を捕まえる程度のものだ。
「んー? どうするんだろうねー?」
 安彦の楽しげな声がかんに障る。自分の無力さに対するイライラと、明らかに安彦に遊ばれているというムカムカが瞬く間に蓄積し、限度を超えた時、自動的に顔があがった。
『……ち……』
「ん?」
『……知恵と勇気で……』
「…………おやまぁ」
 さすがの安彦も口をポカーンとあけてモニタを凝視した。
 数秒間の沈黙がきっかり8秒流れた。
 そして次の瞬間。
「あははあはははああはははあははははははあはあはは!!!」
 安彦は火がついたように大爆笑した。
『そ、そんなに笑わなくてもいいじゃない!』
「あはははははははははは!!! いや、そうか、あはっ、いやいや、そうかそうか、『知恵と勇気』か。そうか。……ぷっ、ぷはははははははははははははは!!!」
 その様子を見た研究員達が口々に『とうとう……』『やっぱり……』『そろそろかと思ってたけど……』などの言葉を発し、幾人かは病院に電話をしようとして思いとどまった。なんとなく、運び込まれても治らないと思ったのだろう。
『安彦、頼みがある。……ちょっと、いつまでも笑ってないで聞いてよ!』
「あははは、はは、はい、……はいはい。何かね、知恵と勇気の正義の味方くん?」
 せれ子はその言い草に抗議しようとしてやめた。外見は悪くないし、そればかりか十分に魅力的なくせに性格が悪いのはでゅろ子の兄そっくりだ。もしかしてこの男がモデルなんじゃないか? とせれ子・辺太郎は常々そう思っている。
 そしてせれ子は抗議するかわりに、精一杯落ち着きのある声でこう言った。
『TTTP でもう一度過去に戻れない? 連れてきたい人、いやゴーストがいるの』

※     ※

 銀の鱗に包まれた触手がでゅろ子の頬に触れた。ぬるりとした冷たい感触にでゅろ子は嫌悪感を覚えたが、身体に抵抗する余力など残ってはいなかった。触手はゆっくりとその先端を伸ばしながら枝分かれしていき、でゅろ子の身体を包み込んでいく。それはまるでゆりかごのような形態を成していった。でゅろ子はされるがままに、うつろな目だけを老人に向けていた。
「うちの……身体?」
 ゆっくりと杖をつきながら歩いてくる老人にでゅろ子は尋ねた。体力の消耗が激しく肩と胸で息をしている。
「そう。……正確には、君がお兄さんから受け継いだコア……カーネルとでも言おうか。それが必要なのだ」
 老人の双眸がでゅろ子を見つめた。この小さなサイズのインスタンスには、兄のような拡張版ガーディアンとしての機能は備わっていないが、同じ A.M.D. のデジタロイドに共通のカーネルが使われている。
「……もしかして、お兄ちゃんたちが追っていた『敵』って……」
「その言い方は正確ではないな。『追っていた』のではない。君の兄が、我々に『追われていた』というべきだろう」
「あんた達が……お兄ちゃん達を……?」
「そうだ。実はこれまで何度か、我々の目的に協力してもらおうと交渉させてもらった」
 あくまで平和的にね、と老人は付け足した。
「しかしまぁ、どうも好意的な話し合いにならなくてね。仕方なく多少手荒なことをさせてもらった。……だが知ってのとおり、亜栖論と辺太郎のコンビは非常に強力でね。我々も手を焼いている」
 自分達の所業をいけしゃあしゃあと言ってのける老人を、でゅろ子は力なくにらんだ。
「あなた達の目的は何なん?」
 でゅろ子の問いに、老人は口の端を吊り上げた笑みだけを返した。
「気丈な心構えだ。さすがは亜栖論の妹だ」
 老人は人差し指を立てた。
「だが、ここは我々のネットワーク・スペースだ。『 ein (アイン)』ではない。この意味は君にもわかるだろう。君はまだ幼く、物の道理がわからないのも無理はないが、自分のおかれている立場を理解してみてはどうかね?」
 言われて、でゅろ子は視線だけを動かして周囲を見渡してみた。確かにここは『 ein 』の中にしてはあまりにも広すぎる。数百テラバイトの容量があるととは言え『 ein 』は基本的に旧世代のサーバ機で、UNIX 系の OS を使った単一稼動可能タイプだ。メモリもハードディスクもネットワークもすべてがバラバラのプロトコルで動き、それ単体で完結できる古いシステムである。
 現代のコンピュータは論理的には、具体的に言えば『NOS』のAPIから見れば、一次記憶も二次記憶もネットワークも同じプロトコルで扱うことができる。つまりでゅろ子たちデジタロイドから見れば、彼らの住むコンピュータとネットワーク内部の世界『ロジックスペース』は、人間の住む現実世界『リアルソース』のように広大な地続きの世界である。もちろん企業などの組織が持つノードで構成されたロジックスペースを『ネットワーク・スペース』という単位で区切る事はあるが、ただその内部に入る際に認証を受ける必要があるというだけで、プロトコル的にはまったくの地続きである。
 でゅろ子はようやく、今自分の居る場所を把握した。
「うちを……どうするつもり?」
 おびえの色が混じり始めたでゅろ子の瞳を見て、老人は満足そうにうなずいた。
「大したことはしない。ある作業にあたって君のインスタンスの一部を必要としている。そのコピーを取らせて頂きたい。もちろん君のインスタンスには 1 ビットたりとも傷をつけないことを保証しよう」
 でゅろ子を包んだ銀色の触手は、彼女のオブジェクトの結合を、破綻するギリギリのレベルまで阻害する効果があった。生かさず殺さずの状態で混濁する意識の中、でゅろ子はかすかな声を搾り出した。
「あんたは……いったい、何者なん……? うちの身体を使って、何をしようとしてるん……?」
 老人は顔をあげた。口の端を引きつらせる独特の笑みを浮かべてから、老人は言った。
「私の名はニムダ」
 老人は古いワームの名で自分を表した。
 その時。
「……それから先については私が答えましょう、でゅろ子」
 声がしたのはでゅろ子の背後。
 続いて咆哮。
「うおぉおおぅりゃぁああぁぁぁあああああ!!!」
 風切音。
「くたばれ、ジジィ!! ハイパー・パイプライン!!!!」
 爆音。
 地響き。
 辺太郎の必殺技のひとつ、「ハイパー・パイプライン・バースト」が炸裂した。
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