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Project Logical Dream Phase-2:epilogue.

【3】

 でゅろ子の身体に浸食が始まっていた。でゅろ子のものとは明らかに違う識別子を持ったインスタンスが TTTP に乗って過去から流れてきている。そしてそのインスタンスはでゅろ子に寄生するように浸食していたのである。
「どういうこと!?」
 狼狽して和美は叫んだ。でゅろ子に干渉し浸食しているインスタンスがある。それも「 ein (アイン)」の中からではなく、その外のネットワークからでもなく、過去から来ているのだ。
 ウィルスのような正体不明のインスタンスに侵されたでゅろ子は、モニターの向こうで苦しそうにあえいでいる。意識が戻ったとはいえインスタンスの 30 % 近くはまだ過去にあり、抵抗する力も無いだろう。幼い裸体にウロコのような鈍い銀色のインスタンスが張り付いている。
 でゅろ子は膝をついた。
「インスタンスの再構成のために『ガーディアン』を解除したのを見計らってのことやな……くそっ」
 苦々しそうに長宗我部(ちょうそかべ)が吐き捨てた。
 『ガーディアン』とはデジタロイドに限らず重要なプログラムやデータに対して実装される「盾」のようなプログラムのことだ。ガーディアンはプログラムやデータを外敵から保護するために機能するが、インスタンスの再構成やデータベースの更新(コミット)や再構成などの際にはいったん機能を解除する必要がある。
「それじゃ、この浸食は……」
「うん。たぶん誰かが仕組んだ、計画的な犯行やな」
「そんな……」
 でゅろ子への浸食は、でゅろ子が通ってきた過去からの道筋をそのまま通ってやってきていた。つまり過去からのものだ。しかもそれがでゅろ子に対するガーディアンの解除を見計らってのことだという。
「過去からこの TTTP を使ってやってきて、さらにタイミングを見計らってでゅろ子を乗っ取るなんて、そんなことできるんですか!?」
「落ち着け長尾」
 長宗我部は静かに、かつ重く言った。
「現にこうやってでゅろ子がやられている。可能か不可能かなんてのは目の前で起きてることをみればわかる。問題はこいつをどうするかや」
「じゃ、じゃぁとりあえずこれ以上の浸食を許さないようにガーディアンを復帰させて……あ、でも……」
「そう。復帰させてでゅろ子を保護した場合、残り 30% のインスタンスが結合できない。それにガーディアンを発動したところで、すでに浸食されてしまった分には有効やない」
「じゃぁどうすればいいって言うんですか!?」
「まずは落ち着け」
 長宗我部は腕組みをしたまま厳しい顔を和美に向けた。
「落ち着かないと何も考えられん」
「……はい……」
 和美はモニターに目を戻した。でゅろ子の切なげな表情が見て取れる。
『苦し……ぃ』
 そうつぶやく声も、かすれて消えてしまいそうなほど弱っている。浸食が進み、有機的に結びつけられた無数のオブジェクトが持つ記憶が書き換えられていく。記憶の整合性があわずエキセプションが各所で起こり、矛盾したデータが保存される。オブジェクトは次々に機能を停止していった。
 和美が口を開いた。
「……とにかく、これ以上このふざけたインスタンスを進入させるわけにはいきません。TTTP の受信側ストリームのプログラムを書き換え、でゅろ子の識別子以外のインスタンスをブロックするようにします」
「無駄や」
 一言で言われて和美は絶句した。
「な、何故……?」
「おそらく『 ein 』自体が乗っ取られとる」
 モニタを見つめる長宗我部の横顔が厳しい表情で固まっていた。
「いくら『 ein 』のプログラムを書き換えても、でゅろ子を救うことはできない」

※     ※

 でゅろ子の意識は一瞬ごとに薄れていっていた。肌だけでなく、内側にも禍々しく光る銀色の鱗がまとわりついている。そしてそれは激痛を伴ってその面積を拡大していた。
 視線を背中に向けると、その銀の鱗はその背後にあるでゅろ子の通ってきていた TTTP の(ストリーム)から太く伸びていた。まるででゅろ子から銀色の大樹が横に伸びているかのようだ。根は地面ではなく、でゅろ子の背中に寄生している。
 そのとき、輪郭を失いつつある意識の片隅で、彼女は声を聞いた。
 それは和美の声でも、長宗我部(ちょうそかべ)の声でも、また亜栖論や辺太郎の声でもなく、聞いたことのない声だった。その声は太く、そして重々しく響いた。
「失礼をしたようだ」
 TTTP ストリームの向こう側、過去の方向から一人の老人が歩いてきていた。ライトグレーの髭を豊かに蓄えた彼は、全身にフードのようなものをまとい杖をついている。だが老人とは思えないほどしっかりと伸ばした背筋から、その杖は体を支えるためのものではないことがわかった。
「離して差し上げよ」
 老人は鱗の幹に杖を軽く打ち付けた。すると鱗の幹はでゅろ子を解放し、ゆっくりと地面(ベースライン)に横たえた。
 激しい責め苦から解放されたでゅろ子はそこから立ち上がるだけの体力も気力もなかったが、近づいてくる老人に対して友好的な感情を持ち得ず、逃げるために上体を起こそうと肘に力を入れた。だがまだ大量のインスタンスが有機的結合を果たしておらず、また消耗してしまった身体は言うことを聞いてくれなかった。
「申し訳ないが、逃がすわけにはいかない」
 老人はゆっくりとこちらに向かって歩みながらそう言った。
「我々の目的のために君の身体が必要なのだよ」
 老人の背後で、再び銀の鱗をまとった触手がうごめいた。

※     ※

「……要するに」
 狭いはずの『 ein (アイン)』内部は、異様なまでに広大な空間が広がっていた。ところどころに残っているでゅろ子へのポインタの残骸を頼りに全速で疾走する亜栖論に並んで、辺太郎が尋ねた。
「どういうこったよ?」
「ここは『 ein 』の中ではないということです」
 亜栖論は静かに言った。全速力で走っているとは思えないほどの穏やかな口調だが、顔は笑顔とは程遠い表情を浮かべていた。
 こういうときの亜栖論には冗談は通じない。辺太郎は経験から、そのことを頭と身体で知っていた。
「おそらく『敵』は、『 ein 』の TTTP 側のポートと外部ネットワーク側のポートの両方をジャックし、自分たちの好きにできる領域ないしはノードに接続しているのでしょう。でゅろ子は『 ein 』に帰ってきたつもりだったし、私たちはゲートウェイの向こう側を『 ein 』だと思いこんでいた。ですが実際は、まったく別のネットワークスペースないしはノードに接続されていた、ということです」
「じゃぁ何か。今通ってきたゲートウェイはもう乗っ取られてて、今俺たちがこうやって走ってるのは……」
「ええ。『 ein 』以外の何処かです」
 亜栖論はちらりと辺太郎を見て言った。
「何だよそりゃ! じゃぁナニか、俺たちは『敵』に一杯食わされたってことか!?」
「ええ。だから怒ってるんですよ、私は」
 亜栖論の横顔にははっきりと怒りの色が見える。普段、少なくとも見かけ上は穏やかな性質だけに、いざ激高した時の差が激しい。口調が全く変わっていないところが逆に拍車をかけている。普段は辺太郎をからかって遊ぶ悪趣味な男だが、保持しているプライドは他人が想像している以上に高く、またかなりの激情家であることは、辺太郎が良く知っていた。
「……ケイ、ティ!」
 視線を元に戻すと、亜栖論は自分の頭上を滑空して追従するケイとティを呼び寄せた。銀色に輝く二つの使い魔は、主人の視線の位置まで降りてきた。
「ケイは先行して妹へのポインタ領域の痕跡を捕捉し、随時知らせてください。状況によっては臨機応変に対応。妹のインスタンス保護を最優先とします。ティはこの事を刑事 6 課に連絡。場合によっては豊臣署長に連絡しても構いません。おそらく、このロジック・スペースに対応するリアル・ソースの位置に『敵』の本拠地があります。ノードアドレスから物理位置を割り出すために例の措置を行いますから、それに対するカモフラージュもフォローをお願いします」
 命令を受けたケイとティは、主人たちから互いに反対の方向へ飛び去っていった。
「裁判所の手続きなしでノードアドレスからの物理位置(フィジカル・ターゲット)割り出し!? んなことできんのかよ?」
「ええ。できません。ですが今は非常事態です」
 オーバーアクションぎみな辺太郎に対し、亜栖論があっさりかつ冷やかに言った。
「またアレかよ……近辺ノードのハッキングと位置情報の取得、バレたら懲戒免職モンだぞお前」
「当然、証拠は残しません」
 亜栖論はやや速度を上げて辺太郎の前に出た。追い抜くときに冷ややかな笑みを浮かべたような気がして、辺太郎は絶対にこいつだけは敵に回すまい、と改めて思った。
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