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Project Logical Dream Phase-2:epilogue. |
【1】 足利機械工業・通称 A.M.D. 第六課研究所にあるメインコンピュータ「「……来ました」 和美はそう短く上司に告げた。 「来たか」 和美の上司である 和美の端末はこの研究所の中で最も「 ein 」に近い。彼女のコンソールパネルの向こうには、広さにして 10 畳はある「 ein 」の巨大な本体が広がっている。もっとも、分散型コンピューティング技術が当たり前となった 2048 年においては、「 ein 」はもはやレガシーなコンピュータと言ってよかった。この時代のネットワークシステムは従来のサーバ・クライアント体制を撤廃し、大仰なスーパーコンピュータやサーバ専用機を必要としない。実際「 ein 」自体 40 年も前に作られた、UNIX ベースの老兵サーバだ。 「 ein 」を必要とする意味、それは 40 年以上前の過去へでゅろ子を送り、また迎えるためであった。 「速度はどうや?」 長宗我部は和美の肩越しにモニタを見つめて言った。 「だいたい 480kbps ですね。完全に到達するまであと 3 時間強」 和美は長宗我部を振り向いて言った。少し栗毛が混じった髪を耳までかきあげる。 「そらまた遅いな」 「『向こう』が xDSL 回線ですから、こんなものだと思いますよ。この時代としては普通の回線速度だと思います」 「そうか……ま、どっちにしてもや……」 長宗我部は、体育館の半分ほどの研究所を見渡した。 「 ein 」からのびた 32 台もの端末に、1 台につき 4 人前後、この研究所に所属するすべての 全員、デジタロイド・でゅろ子の開発に携わったメンバーだった。いわばこの場にいる全ての人間がでゅろ子の親とも言える。 「お前ら……今日は帰さへんからな!」 全員が、声をそろえて「はい!」と答えた。それぞれのモニタから嬉しそうな顔がいくつも飛び出した。 和美は立ち上がった。白衣がふわりと舞う。コンソールの脇に置いていたタイムテーブルを取り、号令を唱えた。 「総員、これより作業フェイズをリビルドに移行。「 ein 」に到達したパケットを検査後に組み立てなおします。迷い込んできたらパケットがあれば確実に捕捉し、ヘッダを修正後次のホップへ。でゅろ子が目を覚ますまであと最低 3 時間。全作業工程は 7 時間以上。みんな、今日は徹夜よ!」 笑顔とガッツポーズが入り乱れた。 ※ ※ 問題は速度よりも精度だ、と和美は考えていた。正確には過去にあるルーティングシステムに割り込んだ影響である。 時間を超えてデータを送受信するための通信プロトコル『 通常インターネットに流れるパケット(データ)は、網の目のように繋がったネットワークを、さまざまなルートを経由して送受信される。ネットワークに送出されたパケットは、インターネット上に無数に設置されているルータと呼ばれる TTTP は任意のルータに寄生し、でゅろ子のパケットのみを選別して 45 年後の未来に送る。その際無関係なパケットは通常のルーティングを行い、未来には送信しないようになっている。 この仕組みは A.M.D. のこの研究所と稲川技研(I.N.T.E.L.)とで共同開発され、何度もテストを行ってきた。だが万が一寄生したルータに不具合が発生すれば、でゅろ子は 45 年前のネットワーク上をあてもなくさまよう事になる。通常、パケットは 255 回ルータを 通常、TCP/IP において到達できなかったパケットは改めて送信される。単なるファイルであればそれも可能だが、デジタロイドであるでゅろ子のインスタンス(データを持つ実体)は唯一無二のものだ。ファイルによって保存されず、メモリの中だけで存在するデジタル生命体である。インスタンスには形成された人格データから感情パラメータ、それらを含んだでゅろ子の経験と『記憶』が含まれている。コンピュータ上に展開された人格であるデジタロイドにとって、インスタンスは実体そのものである。極端な例だが、長編 RPG をデータをセーブせずに終わらせるようなものだ。でゅろ子のパケットの破棄は、即でゅろ子の死に繋がる。 寄生したルータは信頼性の高いものを選別したが、それでも絶対という保証はない。いわゆるクラッキングやポートアタック型ウィルスの標的にされ、機能を停止しないとも限らない。もし順調に行ったとしても、ルータがでゅろ子のパケットを取りこぼす可能性は十分に考えられる。もし核となる人格データに致命的な損傷を受ければ、でゅろ子は植物人間のような状態になりかねない。 生身の人間を過去に送る技術がまだ確立されていない以上、ルータを物理的に保守するすべはない。これは賭であった。 「顔がこわばってんぞ」 肩に長宗我部の手を感じ、和美は振り返った。 長宗我部は口ひげを蓄えた壮年の男だ。A.M.D. の母体がまだソフトウェアではなく、工業機械を作っていたころからソフトウェア一本で生きてきたという。この第六課研究所の所長であり、信頼できる上司であり、和美のよき理解者であった。 「はい……」 「心配か?」 「ええ……」 「素直になったなぁ。以前のお前やったら『そんなことはありません!』てムキになって言うてきたのに」 はっはっは、と長宗我部はタレ目を細めて笑った。 和美はほんの少しだけ口元の緩んだ苦笑を浮かべた。 「多分、ここにいるみんなも同じ想いだと思います。みんな、あの子の親ですから」 言って、和美はフロアのスタッフ達を眺めやる。 目を輝かせてとしてディスプレイをのぞき込む者、検査用コンソールの数値を執拗にチェックする者、全ての職員が生き生きと、かつ危ういほどの緊張感をもって作業に当たっている。でゅろ子が自力で帰ってくるのは賭だが、それは万全の体制で受け入れられるようにと、みなが必死であった。 「確かにな」 長宗我部が端末デスクに腰をかけた。以前の和美なら嫌がっていた動作である。 「まぁ万事を尽くして天命を待つ、言うかな。悔いの残らんようにできるだけのことはしてあげんとな」 それを一瞥して、和美は言った。 「はい」 少しだけ気弱な笑顔だった。 |
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