おさげ。 | Project Logical Dream Phase-2:INTERMISSION. |
「なぁ、せれ子ー」 「なーにー? でゅろ子」 ドアを開いて入ってきたでゅろ子に、あたしは生返事を返した。 PC の中というのは意外と娯楽が無い。今も寝転がりながら、IE のキャッシュから適当に拾ってきた HTML を読んでヒマをつぶしていた。人間で言えば適当なマンガを引っ張り出しているようなものだ。 「おさげやぁ、ゆわえてくれへん?」 でゅろ子がリボンを持った手を無造作に差し出した。 「んー、いいよー」 あたしは反動をつけて、仰向けの身体を「よっ」と起こした。 ※ ※ ここはとある PC のハードディスク。Maxtor 製の 160GB タイプで、スペックは 7200rpm、80GB/プラッタ、3.5 インチ、キャッシュ 8MB と言ったところである。マスターが常時起動させている Winny と、毎晩通っている萌え.jpや双葉二次元裏などのおかげで断片化が激しい。今デフラグを起動すれば、ステータスゲージは間違いなく真っ赤っかだろう。そしてその酷使に耐えているハードディスクにある、伺か用フォルダ。そのゴーストフォルダの中に、あたしとでゅろ子の居住区であるフォルダがあった。パスで言えば C:\Document and Settings\Administrator\デスクトップ\涼璃萌え\ghost\celeron。……あー、そういえば初めてこの PC に来たとき、このパスを見てでゅろ子が露骨に嫌な顔してたっけ。 お隣さんはじゃむのフォルダだ。さっきから壁越しに特撮の挿入歌が聞こえてきている。ハードディスクの中から MP3 ファイルを見つけてきたのだろう。さっきから串田アキラがフルコースで流れている。 反対側は、歌姫・和音ちゃんの居住領域だ。以前彼女の好きな(いや、あたしも大好きなんだけど)耽美談義をしに行ったとき、大量の MIDI ファイルが整然と並べられていたのを覚えている。 ここは、そんな場所だった。 「あのさ」 あたしはリボンを受け取りながら言った。 「あんた、自分でゆわえないの?」 「……」 でゅろ子は少し眉をひそめて、あたしの手の中にあるリボンをじっと見つめた。 「どしたの?」 「……イヤならええよ」 でゅろ子は口を尖らせて、ちょっとだけそっぽを向いた。 なんだよそりゃ。 「別にイヤってわけじゃないわよ。ただ聞いてみただけ」 あたしはでゅろ子の肩に手をかけ、「ほら」と後ろを向かせた。 でゅろ子は回れ右して、その場にちょこんと座り込んだ。リボンの跡がソバージュ状についた髪の毛が、つられて揺れる。 あたしはベッドのわきにあるブラシを取って、でゅろ子の髪の毛をとかしはじめた。 ……しゅぅっ、しゅぅっ、しゅぅっ……。 この子の髪は少しくせっ毛で、ブラシがうまく通らない時があるから、丁寧に。 でゅろ子は小さい。外見年齢は12〜13才程度に設定しているらしいけど、それよりさらに小さい子に見える。並んで立つとあたしの肩ほども無い。 あと白い。肌がとても白くて、清潔で、きれい。ちょっぴり小麦色っぽく設定されているあたしとは対照的だ。 黙っていれば、それなりにかわいいと思う。あくまで黙っていれば、だけど。その華奢な足を折り曲げてちんまりと座り、おとなしく髪をとかれているでゅろ子の後姿は。 …………まぁ、抱きしめてもいいな、と思う。 しゅぅっ、しゅぅっ、しゅぅっ。 あたしは髪をときながら、でゅろ子はおとなしくあたしにされるまま、しばらく黙っていた。 ……ぎゃーっばーーん! 隣のじゃむが聞く曲が聞こえてくる。曲だけじゃなく物音も聞える。反対側の部屋から、和音ちゃんが楽譜をめくる音ですら聞えてきそうだ。それくらい静かだった。 「……なぁ」 でゅろ子が唐突に、正面を向いたまま言った。 「なに?」 「……あんた、お兄ちゃんおるやんな?」 いきなり聞かれたので、ちょっと面食らった。 「ええっと……」 兄はいる。今は遠い未来のどこかで活躍してるだろう。兄は二人いるが、もっぱらなついてたのは下の兄ちゃんのほうだ。気性は荒いが、強くてあたしにはやさしい、自慢の兄ちゃんだ。 「いるよ。それがどうしたの?」 「お兄ちゃん、好き?」 「うん、まぁ……」 急にどうしたんだろう。思わずあいまいな返事で答えてしまった。 「あんな、……会いたい、とか思わへん……?」 顔は見えなかったけど、声はちょっとだけ震えていた。 あー……なるほど。 そっかそっか。この子もお兄ちゃんっ子だったんだ。 普段あれだけ小生意気なクソガキっぷりを発揮しているこのお子様だけど、さすがに大好きなお兄ちゃんと長い間離れているのは寂しいんだろう。あたしですらちょっと郷愁ってやつにかられるんだから、この小さな子にとってはなおさらだ。 「そうねぇ……ちょっとは会いたいけど……」 あたしはちょっとだけ考えて、言葉を選んだ。 「なんていうのかな、『会いたいーーーっ!』ってわけじゃないのよね」 選んだつもりが、なんだか我ながら妙な返事になってしまった。 「……ようわからん」 「んーとね、なんて言ったらいいかな……。会いたいんだけど、会えなくてもいいっていうか……。会えなくても、寂しくないからかな」 あたしは、いつもでゅろ子から『あんたはもっと頭ン中で整理してから喋り』と指摘されてる。この時も、そういう話し方になってしまった。 でもでゅろ子は、いつもの生意気な口調ではなく、 「寂しないの?」 と、普通に聞き返してきた。 「うん」 今度こそちゃんと整理して言おうと、あたしはちょっとだけ考えて言った。 「だってほら、ここはにぎやかだし。お隣さんは熱いじゃむだし、茶津音ちゃんとは趣味があうし、和音ちゃんとは別の意味で趣味があうし。ゆずにーの淹れるコーヒーはおいしいし、たまちんとこは過激にファイヤーだし、エルさんはかっこいいけど気さくだし、零次さんとこはほのぼのしてるし……」 (零次さんとこはほのぼのなのか殺伐なのか単なる貧乏なのか、よくわかんないけど) あたしが言い終えた後、でゅろ子のややうつむき加減の頭がさらにうつむいた。 「どうしたの?」 「……ウチ、人見知りするから……。知らん人と仲良ぅなるん、ちょっと苦手や……」 あぁ……そうだった。 あたしはいろんなゴーストさんたちと仲良くなったんだけど、この子の場合は、あんまり他のゴーストさんたちと交流がなかったんだった。 でゅろ子はかなりの恥ずかしがり屋で、人見知りが激しい。知らない人とはあまり話すのはニガテで、初対面のゴーストさんとあたしが話していると、黙ってあさっての方を向いている事が多い。いつの間にかいなくなってる事だってあるくらいだ。 あたしと初めて会ったときもそうだった。パートナーとしてあたしとでゅろ子の組み合わせが決まって、初めての顔合わせの時だった。この子は付き添いで来たお兄ちゃんの背中に隠れて、結局最後まで自分からは出てこなかった。 あと、マスターの前に立つ時、実はかなりガッチガチになりながらムリして出てきている。仕事だからと割り切っていると言うより、仕事に対するプライドでがんばっているところがある。あたしのボケに対するツッコミが容赦ないのはそのせいだ。……たぶん。 まぁ、この PC に来てある程度時間も経ってるし、マスターの前に出るのはだいぶ慣れてきたと本人も言っている。ほかのゴーストさん達とメモリの中ですれ違う時も、あいさつくらいはできるようになったみたいだ。でもうち解けるというまでにはまだまだだし、そもそもあまり積極的にうち解けようとは思ってないみたい。 あたしに対しては……どうだろう。まぁ、こうやって自らおさげをゆわえてもらいに来るくらいだから、少なくとも警戒はされていないとは思う。……自信はあまりないけど……。 実際は……どうなんだろうか。 この子が唯一心を開いているのは、遠い未来で別れてきたお兄ちゃんだった。お兄ちゃんの話をするときの彼女はどこか誇らしげで、そして嬉しそうだった。きっとここに来る以前も、たっくさんなついてたんだろう。そういう年頃なんだ、でゅろ子は。 それが、兄と別れてはるか遠い過去の世界で仕事をしなければならなくなっている。あたしという会社が決めたパートナーが居るとは言え、ずーっと心細い思いをしてきた事だろう。 お兄ちゃんに会いたいのも、無理は無い。 「そっか……」 あたしはブラシの手を止め、でゅろ子の正面に回り込み、視線の高さを合わせるためにしゃがんだ。 ……目の前に泣きそうな顔。 一瞬ドキっとして、息が詰まりそうになった。この子のこんな顔を見るのは初めてだった。 「あのさ……」 今ので次の言葉を整理する余裕が無くなったあたしは、思いつくままに話した。 「お兄ちゃんでないと、ダメ?」 首をかしげるように尋ねる。 「え……?」 「んとね……、あたしじゃお兄ちゃんの代わりはできないかもしれないけど、あんたがお兄ちゃんに会いたくて会いたくてしょうがなくなったとき……」 言ってから、あたしは手を伸ばし、ときたての髪に包まれたでゅろ子の頭を引き寄せ、胸に抱きしめた。 「ここを、泣く場所に使って」 え、とでゅろ子が顔を上げた。 あたしはつとめていい笑顔になって、その視線を受け止めた。 「パートナーでしょ?」 5 秒後。 ぽかん、とあたしを見つめていたでゅろ子の顔が崩れはじめた。 口元が震え、目が急速に潤み、ほほが引きつりはじめ、眉が下がる。 それが完全に崩れきらないうちに、あたしの胸に顔を押しつけた。 そして。 「お兄ちゃん……お兄ちゃん……!」 くぐもった声で何度もそう小さく叫びながら、いつもの冷めた態度からは考えられないほど、大泣きしはじめた。 「会いたいよう……」 そしてあたしは、泣きじゃくる彼女の頭をなで続けた。 ※ ※ でゅろ子が顔を上げるまで、かなりの時間を必要とした。その間、じゃむや和音ちゃんが何事かと様子を見に来てくれた。すぐに察して二人きりにしてくれたけど、後で事情を説明しに行かなきゃならないだろう。 「……ごめん」 でゅろ子は、見事に泣き腫らした目で見上げた。 「ん? どうして?」 「迷惑かけた」 「迷惑?」 「うん」 でゅろ子は視線をそらした。 「みっともないとこも、見せてもぅたし」 小さい泣きじゃっくりが合間に入る。 「あのさ」 あたしはいきなり、両手ででゅろ子のほっぺたを挟み込んだ。手のひらに上等なオムレツを掴んだような、柔らかい感触が伝わる。 あたしはぐいっと顔を近づけて言った。 「あたしは別に迷惑だなんて思ってないし、みっともないとも思ってない。泣くのは悪い事じゃないよ。むしろ、いつも冷めてるあんたが、お兄ちゃんを想って泣ける子だってわかって逆に安心したくらい」 「でも、泣くガキは鬱陶しいやろ……?」 でゅろ子はそう言って、悔しいような、悲しいような顔をした。 「ううん。そりゃぁ、泣きゃすむと思ってる手合いは鬱陶しいけど、あんたの涙はそうじゃないもん。それに……」 『それに』。 ……なんだろう。 言ってから、続ける言葉を見失った。 いや、自分の気持ちはわかってるんだけど、うまく表現できない。 でも、少なくとも、悪い感情じゃないのはよくわかる。 いや……むしろ逆だ。 「……あぁ、そうか」 「?」 じゃぁ別に考えることはないや。 素直に言葉にしちゃえばいいんだ。 「あたし、あんたの事好きだよ」 「え?」 「好きだって言ったの」 でゅろ子が目を見開き、あたしをまっすぐに見上げた。 「生意気なクソガキやなかったん?」 「え? そんな事言ったっけ?」 「ちょぉ……」 困った顔をしたので、思わず吹き出した。 「あははは。うそうそ。……そりゃぁね、あんたと出会って、初めて一緒にデスクトップに立った時は、思ったよ。『なんつーヒネたクソガキだ』って」 あたしはそう言いながら、でゅろ子の後ろにゆっくりと回りこんだ。 「でもね」 後ろからぎゅっと抱きしめる。 「ちょっ……」 静止の声にあえて構わず、そのまま続けた。 「あんたとはうまくやっていけてる。あんたがどう思ってるか知らないけど、あたしにとっては初めて出来た友達だよ」 かぁっ。 ここからじゃ表情はわからないけど、この子の耳、ものすごく赤くなってる。ぼっ、て音が鳴ったとしてもおかしくないくらい、一気に赤面しちゃったんだ。『ぅぅぅ……』って小さいうなり声も漏らしている。 あぁもう。 かわいいなぁ、ちくしょう。 「う、……ウチ」 「ん?」 「ウチ、も、その……あんたのこと、アホとか、そういうばっかり言うてるけど……」 一生懸命に言葉を押し出しているのが愛らしかった。 「……友達、思てる」 うっ。 ぎゅうううっ! 思わず、抱いた腕に力を入れた。 「うあっ、……せ、せれ子っ、ちょぅ、苦しいって」 「うーれーしーぃーーーっ」 あたしはニタニタニタニタニタニタニタニタしながら、でゅろ子をこねくり回すようにたくさん抱きしめた。でゅろ子が逃れようとじたばたと細い腕と足でもがく。だが、理性を失ったあたしの腕力にはかなわなかった。 「はーなーせー、この腕力女ー!」 「いんやー、離さないーっ」 「なんでぇ!?」 「嬉しいからー。あんたがかわいいからー」 「か、かわいいって……」 でゅろ子の赤面が再発した。 「う、ウチなんて可愛ないもん」 「いんや。あんたは可愛い。あたしがそう決めた」 「決めたって……う、ウチのどこがぁ!?」 「そういうとこー」 「わからん! わかるように喋りんか!!」 そんなのれんに手押し的な問答の間、オヤジさながらにでゅろ子の二の腕に触ったり、首筋にすりすりしたり、やりたい放題にやったあたしは、とりあえず満足して、でゅろ子をぐっと抱き寄せた。 「あっ」 小さい悲鳴をあげたでゅろ子は、あぐらをかいたあたしの足にすっぽりとお尻を埋めた。 そしてその小さな肩にあたしは顔を乗せて、ほっぺたとほっぺたをくっつける。 「あー、あんたのほっぺた柔らかーい」 ほっぺたをむぃむぃと押しつける。 「……まだオヤジモード入っとったんか」 「うん。ついでにこんなこともしちゃう」 ちゅ。 あたしはでゅろ子のほっぺたにちゅーしていた。 なんというか。 そうするのが、息をするみたいに自然で。 「なっ……」 でゅろ子は口をぱくぱくさせた。何かものすごい勢いで抗議したがっているが、言葉が全く出てこないようだ。 「なんちゅぅこと……」 「んー? 別に唇を奪ったわけじゃないじゃん」 「いや、そらせやけど……」 「でしょ?」 けらけらけら、とあたしは気持ちよく笑った。 でゅろ子はイヤな顔はしていない。ただただ、ものすごく恥ずかしがっているだけだ。 と、そのとき。 「せれ子はーん、交代ですよー」 「交代するんですのー」 ドアを開け、零次さんとマーベルお嬢様が現れた。 「あら」 「うわ」 あたしたちは、突然現れた彼らに虚をつかれて呆然となった。 「……えーっと」 あたしとでゅろ子の限りなくゼロに近い距離を見て、零次さんがいぶかしげに目を細めた。 「いつからあんさんら、そんなに仲良ぅなったんですか?」 「あらヒツジさん。仲の良い事はいい事ですの」 マーベルお嬢様はにこにこしながら首を横に振った。 「まぁ……そうですね」 零次さんはお嬢様を見下ろし、今度は嬉しそうに目を細めた。 「ほんじゃ、次、せれ子はんらの出番なんで」 「後はよろしくですのー」 ばたん。 二人の去った後、あたし達は呆然としたままドアを凝視していた。 「見ら……れた?」 「さぁ」 不安そうにドアを指さすでゅろ子に、あたしはとぼけて答えてみせた。 「さぁって……」 「まぁまぁ。それより出番だよ」 あたしはでゅろ子の肩をぽんぽんと叩いた。 途中だったでゅろ子のおさげを最後までゆわえてあげて、あたしも自分の髪を一本ゴムで手際よくポニーテールにゆわえる。部屋着からユニフォームに着替え、前髪を整えた。 でゅろ子もやや釈然としない様子だったが、あたしの準備が終わる頃にはテキパキとした動作でユニフォームに着替えていた。 「さ、行こっか」 「うん」 準備の整った二人は、並んでドアの前に立った。 そして、ドアノブをつかんで回そうとして、あたしはふと、言い忘れてた事を思い出した。 「あのさ」 「ん?」 あたしの肩ほどしかない背丈のでゅろ子は、綺麗に整えたおさげを揺らして、あたしを見上げた。 「……ずっと、友達でいようね」 言ってから 2 秒、あたしを見上げていたでゅろ子は、すぐに満面に笑みを浮かべた。 「うん!」 ……一緒なら、どこででもやっていける。 ……初めてできた友達なんだから。 多分同じ事を思いながら、あたしたちはハードディスクからメモリを通り、ノースブリッジを越えてビデオメモリを経由し、ディスプレイケーブルをくぐった。 どっちから手を伸ばしたのか覚えてないけど、いつのまにか手を繋いでいた。 そしてマスターの待つ、ディスプレイへ。 最高の笑顔を携えて。 |