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ぽにて。 Project Logical Dream Phase-2:INTERMISSION:2

「起動!」
「はい、起動」
「うん! 気力充実! UDでもSETIでもこなしちゃうぞ……って、あれ?」
 デスクトップに立ったあたしたちは、ここまでしゃべってモニタの電源が切れている事に気がついた。
 深夜 3 時。草木も眠る丑三つ時というヤツだ。カレンダーでは日付が変わってすでに月曜、つまりあと 5 時間後にあたしたちのマスターは起床し学校へ行くことになる。
「ねぇ、Winny は?」
「起動しとんな。MSN メッセンジャーも」
 でゅろ子は足下のタスクインジケータをのぞき込み、「うんしょ」とインジケータの幅を広げた。隠れていたアイコンはズラリと並び、あたしたちのマスターがこの PC を酷使している様がありありとわかる。
「この CPU 負荷は……あ、あったあった TMPGEnc」
 タスクバーには例のフィルムを縦にしたようなアイコンを持つタスクが起動していた。おおかた Winny でダウンロードしたムービーファイルを MPEG2 にエンコードし、あとで DVD に焼くつもりなのだろう。
 まぁ HyperThreading 対応の Pentium 4 と WindowsXP のおかげで、ガッチガチに重い処理が走っていてもあたしたちゴーストのタスクはごく普通に稼働しているのだが。
「この状況を見てどう思うかね、でゅろ子くん」
 「んんしょっ」とインジケータを元に戻していたでゅろ子に、あたしは尋ねた。
「いや、普通に寝落ちやろ」
 でゅろ子くんは手のひらを「ぱんぱん」と払いながら、冷静に言ってくれた。
 寝落ち。つまりこの PC の主人であるマスターは、Winny や TMPGEnc などのソフトを起動させたまま、すやすやとおねむになられているのである。しかも、あたしたちゴーストをデスクトップに立たせたまま終了することも忘れている。おおかたディスクプレイの電源も切り忘れたのだろうが、Windows の電源設定で自動的に落ちたものと思われる。
 ちなみにあたしたちがついさっき起動したのは、ベースウェアの設定で 1 時間ごとにランダムにゴーストがチェンジするようになっているから。
「じゃぁあれだ、ここに立ちっぱなしでなくていいんだ」
「そういう事やね」
 あたしとでゅろ子は一緒に腰を下ろした。
 なんというか、ついさっき友情を確かめ合ってぎゅーって抱き合ってちゅーまでしてしまっておててつないでここまで来てさぁ気合い入れて漫才するぞ!……という気持ちで来たのに、完全に拍子抜けしてしまった。
「と言うわけで急にヒマになっちゃったわけですが。とりあえずでゅろ子くん、お茶」
「なーにがお茶やっ」
 ぺしっ。
 でゅろ子はあたしの頭を平手ではたいた。
「なんだよー、けちー」
「こんなデスクトップでお茶なんかあるかい」
 でゅろ子はそっぽを向いた。
 むかっ。
「ちょっとした冗談じゃないー。ノリ悪いんだからあんたはー」
「ウチには、そういうボケにボケを重ねるようなマネはできひん」
「かわいくなーい」
 あたしは立ち上がった。
「かわいくないかわいくないかわいくなーい。さっきはあんなにかわいかったのにぃ」
「かわいいも何もあらへん。ウチにはそういう芸風はできません、って言ってるんや」
「ムキー!! 年長者の言うことには素直に従いなさいよこの生意気なクソガキ、略して生ガキ!」
「ウ、ウチはそんな広島名産みたいなモンやない!」
「何よ! 牡蠣はおいしいのよ! フライにしてカレーにのせたらすっごくおいしいんだから!!」
 あぁ。
 もはや何のことでケンカしてるんだかわかんなくなってきた。
「何言うてるんかさっぱりわからんわ、あんた!」
「ま、あんたみたいなお子チャマにはわかんない味覚かもしれないけどね。ふふん」
 いやだから。我ながらどんどん別の方向に話が進んでいく。
「な……何を言うねん、精神年齢はウチより遙かに下のくせに!」
「あら。精神年齢とかそういうあやふやなものを頼りにしなければ自分の存在価値を確認できないのかしら。おほほほほほほほほ、哀れね。おほほほほほほほほおほ」
「なんやと」
「そういう事は十分にチチとケツが発達してから言う事ですわよでゅろ子さん。『ぼっ』『きゅん』『ぼん』。おわかり?」
「…………………」
 胸から順に腰、おしりと手をあてがって言うと、でゅろ子は急にだまりこくった。
「まぁ、あんたみたいな子供はがんばって豊胸マッサージでもしてなさいってこった…………って、どしたのあんた……?」
 でゅろ子はいつのまにかうつむいて、肩をふるわせていた。両ひざにおいた握り拳が震えている。
「………なに」
「え?」
 でゅろ子の声は震えてて小さくて、とても聞き取りにくかった。もしかしたら泣きじゃっくりが混じっていたのかもしれない。
「………んなに……ねがあるんが……」
「な、何? 聞こえない」
 あたしはひざまずいて、でゅろ子の口元に耳を近づけた。
「そんなに胸があるんがいいんかー!!!!!」
 …………
 ………
 ……
 び〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん……。
 何が起こったのか分からず、とにかくあたしは耳元を抑え、耳の奥を貫いて頭を 7 周半ほどしている耳鳴りが鳴りやむのを待った。古典的なマンガの世界なら、おそらくあたしの頭上にはヒヨコか星がぐるぐる回っていることだろう。
 ………えーっと、な、何が起こったんだっけ……?
 状況を把握しようと思って前を見ると、いつの間にか仁王立ちになっているでゅろ子の姿が揺らめいていた。
「せれ子……」
 押し殺した声ででゅろ子は言った。
 ヤバい。完全に目が血走っている。
「あぁそうやんなぁ、そんだけの胸とチチがあってウェストも細くて脚の長いモデル体型で。そりゃぁ、ウチのようなふくらみかけの胸と寸胴のウェストと細いだけの脚とは違うわなぁ」
「な、何よ……?」
 耳鳴りはもうやんでいたが、あたしは本能的に耳元を押さえていた。
 それは恐怖のためだった。
 あたしよりも遙かにちっこいこのガキんちょに、あたしはただならぬ恐怖を感じていた。
「特にその胸!」
 ビシィッ! とでゅろ子はあたしの胸を指さした。
「でかいし形はええし理想的な胸やなぁ、おい。ウチのピッタンコでど根性ガエルクラスの厚みしかない貧相な胸とはえらい違いやんなぁ」
「ちょ、ちょっと待って」
 ど、ど根性ガエルって……あんた、そんな事言うような面白娘だったか!?
「さぞかし野郎の目を引きつけることでしょうなぁ。よろしいなぁ。見られるのも仕事の内なんでしょうなぁ」
 かと思えばややオヤジの入った目であたしを見つめる。なんなんだ。
「いやほら、世の中胸が小さいのがイイって人もいるわけだしさ。そんなにうらやましがらなくてもイイと思うよ、ウン」
「貧乳好きよりも巨乳好きの方が遙かに数が多いと思うが?」
「そ、そうかなー? 案外ゴーストを立ち上げる人には貧乳のほうが割合が多いと思……」
「せれ子ぉ!!!」
 でゅろ子が突然叫んだ。
「はいぃ!?」
 一喝されて、あたしは背筋を伸ばして返事した。
 ……ま、まるで大きい兄ちゃんに叱られてる時みたいだ。
「…………もませれ」
「は?」
「そのムダにデカイ胸、ウチにもませれ!!」
 わきわき。
 両手の指をワシの足のようにして動かし、でゅろ子が迫ってきた。
 やばい。
 目がやばい。この子。
「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待った!」
「問答無用ー! おとなしくもまれんかこのデカチチ!」
 そのときあたしは見た。
 でゅろ子の身体がルパンダイブするのを。

※     ※

 もふっ、もふっ、もふっ。
「………あの……」
 むもっ、むもっ、むもっ。
「でゅろ子さん?」
「何?」
「いや、『何?』じゃなくて」
 むにゅぅぅうぅ。
「あー………もみがいあるわ」
「はぁ」
 なにやら労働のさわやかな汗を流すときに似た表情で、でゅろ子は一心不乱にあたしの胸をもんでいた手を休めた。
 ルパンダイブの後、でゅろ子は仰向けに倒れたあたしのおなかに馬乗りになって、それはもうライトニングモマーのごとくもんでいたのである。
「あんた、この下ってブラとかつけてへんねやんな?」
 おもむろにでゅろ子が尋ねた。なんでそんなはずかしいことを聞くかなこの子は。
「あぁ……まぁ、一応インナーっていうか、そういうのはついてるけど……」
 真っ正直に答えるあたしもあたしだが。
「ということは基本的にはノーブラなんか」
「……は、ハッキリ言わないでよ……」
「つまりこの『もみもみ』はかなりダイレクトな『もみもみ』とみてええんか?」
「だ、ダイレクトって……?」
「素肌」
 即答。
「あ……いや、そうなんだけ……ど」
「ほな、さっきから十分にもみしだいてるわりに感じてへんのはどういうことや」
 ………!
 か、感じるってあんた……。
「いやあの、だからさ、そういう恥ずかしい事は……」
「恥ずかしいって………実は感じてるんか!?」
 そ……そんな嬉しそうな目で見るな。
「だーかーらー!! だ、だいいちなんであたしの胸をもむのよ!?」
「もみがいありそうやから。以上」
 またも即答。
「ちょっと待ってよ! なんでいきなりそういう話の展開になるわけ!?」
「あのな」
 ずい、とでゅろ子の顔のアップが近づく。座った目が語りかけてくる。『黙って聞け』と。
「ウチの胸は小さい。小さいということはもみがいがない。自分の胸をもんでもつまらない。相方の胸は大きい。大きいということはもみがいがある。つまり相方の胸をもむとおもしろいって事やんか」
 ………な。
 なんだ、その論法は。
「というわけでウチにはあんたの胸をもむ権利がある。あんたにはもまれる義務がある」
「だーかーらー!!」
「しかしやな、あんたこんだけウチがもんでやってるというのに可愛い声の一つもあげへんのや?」
 か、可愛い……?
「は?」
「と言うことはまだまだ感じ方が甘いっちゅうことやろな。どれ、ウチがさらにもんで……」
「ちょっと待てーーー!! っていうかちょっとだけじゃなくて、かなり待てーーー!!!!」
「………なんやの」
 あたしのあまりの叫び声に、でゅろ子手を『わきわき』させたまま待機状態に入った。
「あ、あのね」
 絶叫直後の酸欠状態に陥っていたあたしはぜぇぜぇと息をした。
「もめば感じるってもんじゃなくてさ。それにあたしたち、女の子同士ですよ? ムードもへったくれもないところでもまれたって、感じるどころかくすぐったいだけよぅ」
 しかもでゅろ子のは黙々とか淡々と言った作業的なもみ方なので、あたしからすれば単に胸に圧迫感があるだけなのだ。
「なるほど」
 でゅろ子は手の『わきわき』を止めた。
 そしておもむろに、あたしの顔に顔を近づけた。
 迫ってくるでゅろ子の目。……何? 何がはじまるの?
「ほな、こうはどうや?」
 言うが速いか、でゅろ子はあたしの顔をむんずと両手でつかみ、側頭部に口を近づけ………
「ふぅ〜〜〜〜〜っ」
 ………!!!!!!!!!!!!
「うひゃあああああああああああああああああああああああああ!!!?」
 耳に息を吹きかけたのだ。
 全身という全身、肌という肌、いや皮膚の裏側にも光の速さで何かが突っ走った。いくら肩をすくめてもすくみきれないほどの、寒気に似た感覚が身体を襲う。
「おっ、効いてるやんか」
 ふぅぅうう。
 今度はややソフトに。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!」
 声にならない声というのは本当にあがるもので、あたしは必死で叫び声を上げたつもりだったが、それは噛みしめた奥歯に相殺された。
 か、身体の力が入らない……。
「ちょ……ちょっと………や、やめ……」
 息も絶え絶えに、あたしはでゅろ子のどアップに向かって言った。
「やめない」
 ……神よ。
 この嬉っしそうな顔でニヤニヤしている無慈悲なガキンチョからあたしを救いたまい、アーメソ……。

※     ※

 ………………と、そのとき。
 ディスプレイの電源が唐突に入った。マウスが動かされたのである。
「やばっ!」
 でゅろ子の顔色が変わった。ブラックアウトしていた画面が徐々に明るくなる。そうすればこの醜態があらわになってしまう。
 頭上でマウスカーソルが泳いでいる。眠っていたはずのマスターが起きて、マウスを動かしているのだ。
 でゅろ子はあたしから飛びのいた。
「早よ、早よ立ちっ!」
 でゅろ子はあたしに手をさしのべた。
「らめ………身体に力が入んないよぅ……」
 身体の奥にある元気の源泉がまるっきり尽きたみたいにあたしの身体は弛緩していた。手をさしのべられたからと言って立てるものでもない。
「そんな言うたかてマスターが………あ」
 でゅろ子が頭上を振り返った。
 マウスカーソルがでゅろ子の側に近づいてくる。
 そして完全にでゅろ子の身体に重なると、右クリックメニューが出現した。
「ちょ……」
 ちょっと待って、という間もなく、ぐらりと視界が回転した。
 何が起こったのかとっさに理解できず、あたしもでゅろ子も「うわぁあ!」と叫んで………転がり落ちた。
 どっすん。
 あたしたちはアイコン化され、タスクバーから放り出されてしまったのである。
「あいたたた……」
 背中を強く打ったあたしは顔をしかめた。でゅろ子の身体もあたしに覆い被さるように降ってきていて、背中と胸の両方を打ってしまったのである。
「……なんちゅぅ事するんや……痛ぁ……」
 でゅろ子も顔をしかめた。あたしの身体をクッションにしたくせにぃ。
 しかも。
<$OnClose>
 ベースウェアから、OnClose イベントが発動された。これはつまり、あたし達のアイコンを右クリック→[終了]がクリックされた事を意味する。
「あー、今日のおつとめ終わりか……」
「ほら、帰るで」
 でゅろ子はまたあたしに手をさしのべた。その瞬間、あたし達の身体はメモリ上から消え、ハードディスクに書き戻されてしまった。

※     ※

 ゴーストフォルダに戻ったあたしたちは、フォルダに入って早々に備え付けのベッドへ横たわった。
「あー、えらい目に遭った」
「たぶん、Winny のダウンロード状況でも見ようと思ったんちゃうか? ほんで終了しわすれてたウチらをついでに終了したんやろ」
「じゃぁ、なんでわざわざアイコン化したのよぅ」
「寝ぼけてて、操作を間違えたんとちゃうか?」
「そか……もうどうでもいいや。あー……いまだに身体に力が入んない……」
 うつぶせのままあたしはつぶやいた。
「なぁ、せれ子」
 でゅろ子は、ベッドのへりに座って言った。
「なによぅ。また『もませれ』とか言うんじゃないでしょうね」
「うん」
「な………」
 また即答かよ。もう胸も耳も勘弁して下さい。おながいしま……
「あんな……」
 でゅろ子の声は、先ほどとは違う落ち着いたものだった。
「ウチ、お兄ちゃんの側におった時、お兄ちゃんの身体にひっついとったら安心できてん」
「?」
「安心できる人にひっついとったら、一緒に安心できんねん。……せやからな、ウチ、せれ子にひっつきたかってん」
 ………あぁ。
 得心。
「それで、あたしの胸もんだりしたわけ?」
「うん。……ごめん。なんか、口実が無いとひっつけへんで……」
「ごめんですむか」
 本当に、死ぬかと思うくらい、身体が弛緩したんだから。
「……う」
 でゅろ子の声が詰まった。
「だからさ」
 あたしは、辛うじて力の入る手で、でゅろ子の手を引いた。
「素直にひっついとけばよかったのに」
「……でも」
「でもじゃなくて」
「なんか、恥ずかしいし」
「恥ずかしくもなくて」
「そんな理屈が……」
「じゃぁさっきの『ウチにはあんたの胸をもむ権利がある』っていう理屈、あれもムチャクチャだけど?」
「う……」
「ほら」
 再度でゅろ子の手を引いた。
 今度はちゃんと力が入り、でゅろ子を引き寄せる事が出来た。
 バランスを崩し、あたしのそばに倒れるでゅろ子。
 そっと、背中から抱きすくめる。
「う、うん……」
 耳が赤くなっている。
 受動的になった途端に態度が変わるな、この子。
 
 ……その後、あたしは身体の力が入るようになるまででゅろ子の身体を抱いていた。
 そして気がつくと、でゅろ子はすぅすぅと寝息を立ててしまっていた。
 抱かれているうちに恥ずかしさが無くなったのと、さっき大暴れしていた時の疲労とが、一緒になって眠気がきたのだろう。
 あたしは少し笑うと、でゅろ子の頭をなでた。数回なでたところで、今度はあたしの口からあくびが漏れ出てしまった。
 まぁ、こういうのも悪くはない。
 さっきまでセクハラオヤジ化していたでゅろ子の、あまりにも邪気のない寝顔をのぞき込むと、耳元に「おやすみなさい」と言ってから、あたしも眠りについた。

 おやすみなさい。
 明日もまた、いい笑顔で。  
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